自己成長

挑戦を続けると、付き合う人が変わる。成長と人間関係のリアル

昔は何時間でも話していられた友達と、久しぶりに会ったときに、「なんとなく前ほど話が合わなくなったな」と感じることがあります。学生時代には毎日のように顔を合わせ、授業や部活のこと、恋愛のこと、将来のこと、くだらない話まで何でも話していた。休日になれば自然に集まり、特別な予定がなくても一緒にいるだけで楽しかった。それなのに、社会人になって数年、十年と経ち、それぞれ違う環境で生きるようになってから会ってみると、昔話をしている間は笑えるのに、「最近どうしてる?」という話になった途端、以前にはなかった小さなズレを感じる。自分が最近勉強していることや、新しく挑戦していることを話しても相手はあまり興味を示さず、逆に相手が話す内容にも、自分が昔ほど関心を持てなくなっている。嫌いになったわけでも、喧嘩したわけでもないのに、帰り道には「楽しくなかったわけじゃない。でも、前とは少し違ったな」という感覚が残る。こうした変化は、人間関係が壊れたというより、自分たちがそれぞれ別の時間を生きてきた結果として起きていることがあります。

昔からの友達は大切にしたほうがいい。長く付き合ってきた関係は簡単に手放すものではない。そう考える人は多いでしょうし、実際、長い時間を共有してきた相手には、新しく出会った人とは違う価値があります。何者でもなかった頃の自分を知っている。失敗していた時期も、恥ずかしい過去も、うまくいっていなかった頃も知っている。今の自分だけを見てできた関係ではなく、過去から現在までをつないでくれているという意味で、昔の友達は特別です。ただ、「昔大切だった」という事実と、「これからも昔と同じ距離で付き合い続けなければならない」という話は分けて考えたほうがいいでしょう。人は生きている間に経験することが変わり、興味を持つものが変わり、物事を見る基準も少しずつ変わっていきます。そうであるなら、人間関係だけが何十年も同じ形のまま続くと考えるほうが、むしろ不自然なのかもしれません。

ただし、ここで一つだけ勘違いしてはいけないことがあります。昔の友達と話が合わなくなったからといって、それだけで「自分が成長した」と考えるのは違います。自分は何年間も仕事へ行って家へ帰るだけの生活を続け、休日も毎回同じように過ごし、新しいことにはほとんど挑戦していない。一方、友達のほうは仕事をしながら勉強し、資格を取り、転職し、知らない場所へ行き、新しい人たちと関わり、成功も失敗も経験している。その結果として相手の話についていけなくなったのであれば、確かに二人の間には距離ができていますが、その距離は自分が前へ進んだことで生まれたものではありません。むしろ相手が動き続けたことで、自分との間に差ができた可能性があります。だから今回考えたいのは、「友達と合わなくなったら、それは成長の証拠だ」という気持ちのいい話ではありません。自分から学び、挑戦し、知らない場所へ入り、さまざまな人と関わり、うまくいかない経験も含めて自分の世界を広げ続けた結果、それまで当たり前だった価値観や興味が変わり、それに伴って付き合う人や人間関係の距離まで変化していく。そのときに、昔の関係をどこまで維持すればいいのか、話が合わなくなった自分を冷たい人間だと思う必要があるのか、そして逆に、成長している相手を見て居心地が悪くなったとき、その感情をどう受け止めればいいのか。人が成長する過程で起こる人間関係の変化は、思っている以上に複雑です。

学生時代の友達は、「価値観が同じだから」ではなく「同じ世界にいたから」仲良くなったことも多い

学生時代の友達を思い返してみると、友達になるきっかけはかなり偶然だったりします。同じクラスになった、席が近かった、同じ部活へ入った、同じ通学路を使っていた、大学なら同じゼミやサークルだった。それだけで毎日のように顔を合わせ、自然と話すようになり、気づけば休日まで一緒に過ごすようになった。最初から「この人とは人生観が合う」「価値観が近い」と考えて友達になったわけではないことのほうが多いでしょう。同じ学校にいれば、その日の出来事そのものが共通の話題になります。嫌いな先生の話、テストの話、部活の話、同級生の恋愛、修学旅行、体育祭、文化祭。生活の中心が同じ場所にあるため、相手と自分の人生観がどれほど違っていたとしても、それを意識する機会はそれほどありません。放課後に一緒に帰り、同じような時間に学校へ行き、似たような年齢で似たような悩みを持っている。共通しているものがあまりにも多いため、「何を話すか」を考える必要がないのです。

ところが学校を卒業すると、その共通の環境が突然なくなります。働く会社が違い、住む場所が違い、職種も違う。ある人は仕事をどんどん任されるようになり、ある人は転職する。結婚する人もいれば、独身でいる人もいる。子どもができる人もいれば、海外へ行く人もいる。休日を勉強に使う人もいれば、趣味に使う人も、家族との時間を優先する人もいます。学生時代にはほとんど同じ場所を歩いていた人たちが、卒業した瞬間からそれぞれ違う方向へ進み始めます。それでも最初の数年は、学生時代の思い出だけで十分に盛り上がれます。「あの先生覚えてる?」「あいつ今どうしてるんやろ」と話しているだけでも楽しい。しかし、そのまま五年、十年と経つと、過去の共有だけでは関係を維持しにくくなることがあります。なぜなら、その間にそれぞれが経験した「現在」の量が増えていくからです。

ここで一人が、新しいことへどんどん挑戦する人だったとします。仕事以外にも勉強をし、資格を取り、職場を変え、知らない業界の人と関わり、海外へ行き、新しい趣味を始める。うまくいくことばかりではなく、失敗もする。思っていた仕事ではなかった、試験に落ちた、知らない土地で困った、人間関係で失敗した。それでも、その一つひとつが自分の中に新しい判断材料として残っていきます。一方、もう一人は今の生活に特に不満がなく、大きく環境を変える必要も感じない。会社へ行き、家へ帰り、休日には昔からの友人と会う。その生活で本人が幸せなら、それは何も悪いことではありません。ただ、十年後に二人が会ったとき、それまで共有してきた世界の広さには違いが出ています。

片方には、今話したいことがたくさんあります。新しく学んだこと、失敗から考えたこと、仕事で感じていること、旅行先で見たもの、知らない人と話して考えが変わったこと、これからやってみたいこと。しかし、もう片方がそれらにほとんど興味を持たなければ、どうしても会話は浅くなります。反対に、昔と変わらず同じ会社への愚痴、同じ上司への不満、昔の友人の噂話が中心になっている相手の話を、自分が以前と同じように楽しめなくなることもあります。ここで「自分は成長した。相手は成長していない」と結論づける必要はありません。もっと単純に、二人の間に共有できる世界が減ったと考えればいいのです。人間関係は、過去の長さだけではなく、現在共有できるものによっても成り立っています。学生時代には同じ学校という巨大な共通点がありました。しかし、その共通点がなくなったあとに、それぞれが全く違う方向へ進んでいけば、以前ほど自然に話が合わなくなるのは不思議なことではありません。

挑戦を重ねると、経験より先に「ものの見方」が変わっていく

挑戦することの影響は、履歴書に書ける経歴が増えることだけではありません。本当に大きいのは、経験するたびに、自分の中の「普通」が少しずつ変わっていくことです。初めて資格の勉強を始めるとき、仕事が終わってから机へ向かうことはかなり大変に感じます。「仕事だけでも疲れているのに、さらに勉強なんて無理」と思うかもしれません。しかし一つの試験に向けて半年、一年と勉強を続け、結果を出した経験ができると、「働きながら学ぶ」ということ自体が以前ほど特別ではなくなります。すると次に何かを学びたいと思ったとき、「仕事が忙しいから無理」という言葉だけでは、自分を納得させにくくなります。自分自身が、忙しい中でもできた経験を知っているからです。

海外へ一人で行く場合も似ています。最初は空港へ着くだけでも不安で、電車に乗る、ホテルへ行く、注文するという一つひとつの行動に緊張します。それでも実際に行き、迷いながらも帰ってくると、「分からない場所でも、調べながら進めば何とかなる」という感覚が残ります。次に知らない場所へ行くとき、怖さが完全になくなるわけではなくても、「以前も何とかなった」という経験が判断の土台になります。転職も同じです。一社しか知らないと、会社を辞めることそのものが人生を大きく壊すように感じる場合があります。しかし実際に転職し、新しい職場で働いた経験がある人にとっては、「会社を変える」という選択肢が現実のものになります。今の職場がすべてではないことを経験として知っているからです。

こうして挑戦を重ねると、「できること」が増えるだけではありません。以前は大きな壁に見えていたものが、以前ほど大きく見えなくなります。その変化は、自分の判断基準にまで影響します。だから、昔の友達から「そんな資格取ってどうするん?」「転職とか怖くない?」「海外なんて危ないやろ」「副業なんて面倒やん」と言われたとき、以前なら自分も同じように考えていたのに、今ではその言葉に違和感を覚えることがあります。相手は相手の経験から判断していますし、何も間違っているわけではありません。ただ、自分は実際にやってみたことで、同じものを別の角度から見られるようになっています。

このズレは、一つひとつだけなら大したことではありません。しかし仕事、学び、旅行、お金、人間関係、将来の話まで、いろいろな場面で判断基準が少しずつ違ってくると、会話の温度そのものが合わなくなることがあります。昔なら一緒になって「会社最悪やな」と愚痴を言っていた。しかし今は、何年も同じ不満を言いながら何も変えない相手を見て、「じゃあ自分で何か変えたらいいのに」と思うようになる。以前なら「仕方ないよな」で終わっていたところで、自分は「どうすれば変えられるか」を考えるようになっている。これは相手を見下しているからとは限りません。自分自身が、問題に対して動くという経験を重ねたことで、問題を見る姿勢そのものが変わっているのです。

そして、この変化は自分でも気づきにくいものです。資格を一つ取った瞬間に価値観が変わるわけではありませんし、一回旅行しただけで別人になるわけでもありません。ただ、何年もかけていろいろなことを経験していると、以前の自分なら同意していた考え方に、いつの間にか違和感を持つようになります。それが積み重なった結果として、昔の友達との会話に小さなズレが生まれます。つまり、人間関係が変わる前に、まず自分の中の判断基準が変わっているのです。

「友達と話が合わなくなった=成長した」ではない。大切なのは、どちらが動いたのかを見ること

ここまで読むと、「じゃあ最近昔の友達と話が合わないのは、自分が成長したからなんだ」と考えたくなるかもしれません。しかし、ここがこのテーマで一番気をつけたいところです。友達と話が合わなくなったという現象だけでは、自分が成長したかどうかは判断できません。同じ現象が、全く逆の理由でも起こるからです。

例えば、自分はこの五年間、特に何も変えていない。仕事は同じ。休日も同じ。新しいことに興味は持つけれど、「忙しいから」「失敗したくないから」「今さら面倒だから」と結局何も始めていない。一方、昔からの友達は働きながら勉強を始め、資格を取り、転職し、いろいろな場所へ行き、知り合う人も増えている。五年前には二人とも似た生活をしていたのに、久しぶりに会うと、その友達からは自分の知らない話が次々と出てきます。新しい仕事の話、勉強していること、旅行した場所、知らない人から聞いた話、これからやってみたいこと。本人は自慢するつもりなどなく、最近の生活を普通に話しているだけかもしれません。

しかし聞いている自分は、だんだん居心地が悪くなります。昔は同じだったのに、相手だけがどんどん先へ行っているように感じる。相手が楽しそうに新しい話をするほど、自分が何もしていないことを突きつけられているような感覚になる。すると、話の中身よりも相手の姿勢そのものが気になり始めます。「最近あいつ意識高くなったよな」「なんか昔と変わった」「自慢話ばっかりやん」と言いたくなることがあります。もちろん、本当に相手が自慢ばかりするようになった可能性もあります。経験を積んだことで他人を見下す人も実際にいます。しかし、自分が感じている不快感のすべてを相手の性格の問題にすると、自分を見る機会を失います。

相手が輝いて見えることで、自分が止まっているように感じる。相手が新しいことへ挑戦している話を聞くことで、自分が「いつかやろう」と言いながら何年も動いていないことを思い出す。その痛みを認める代わりに、「あいつが変わったから話が合わない」と処理するほうが楽です。だから、友達との間に違和感が出たときには、「自分のステージが上がった」と考える前に、ここ数年の自分を振り返ってみる必要があります。自分は何を学んだのか。どんな新しい環境へ入ったのか。何に挑戦したのか。どんな失敗をしたのか。知らない人とどれだけ関わったのか。以前にはなかった考え方を、どんな経験から身につけたのか。そこに具体的なものが何もないのであれば、「話が合わなくなった」という事実を、自分の成長の証明に使うことはできません。

逆に、実際にいろいろな経験を重ね、その結果として自分の考え方や興味が変わったのであれば、人間関係の変化を必要以上に否定することもありません。成長は、友達と合わなくなることそのものではなく、自分が積み上げてきた経験の中にあります。人間関係の変化は、そのあとから現れる一つの結果にすぎないのです。

「昔のお前はそんなことしなかった」が苦しくなるのは、昔の自分に戻されるから

人が変わろうとするとき、意外と難しいのが、昔から自分を知っている人との関係です。新しい場所で知り合った人は、今の自分しか知りません。仕事をしながら勉強している自分、新しいことへ挑戦している自分、何かを始めようとしている自分。それを最初から「この人はこういう人」として受け入れます。ところが、昔からの友達には過去の自分が残っています。学生時代に勉強しなかった。何かを始めてもすぐやめていた。将来について真剣に考えていなかった。いつも同じ仲間と遊んでいた。そういう時代を一緒に過ごしているため、自分が変わり始めると、「お前がそんな勉強するん?」「昔そんなんちゃうかったやん」「急にどうしたん?」「意識高くなったな」といった言葉が返ってくることがあります。

仲の良さから出る軽い冗談で、本当に悪意がない場合も多いでしょう。一度、二度なら笑って終わる話かもしれません。しかし、何か新しいことを話すたびに同じ反応が返ってくると、少しずつ自分の中に「この人には今の話をしないほうがいいな」という判断が生まれます。勉強の話をすると茶化されるから言わない。新しく始めたことを話しても興味を持ってもらえないから話さない。少し成果が出ても、「自慢してると思われたら面倒だから」と言わない。すると、関係自体は続いているのに、そこで話す内容だけが昔のままになります。

学生時代の話、昔の知り合いの話、会社の愚痴、以前から共有している話題。新しく変わった自分の部分は、その人間関係の中では少しずつ隠すようになります。最初は何とも思わなくても、これが続くと疲れます。新しいコミュニティでは現在の自分でいられるのに、昔の友達の前では昔の自分へ戻らなければ会話が成立しないからです。

人間関係には、長く続いているからこそ「その人はこういう人」という役割があります。いつもふざける人、相談を聞く人、何もしない人、恋愛ばかりしている人、挑戦しない人。その役割は、そのグループの中では心地よいバランスを作っています。だから一人だけが変わると、周囲にも違和感が出ます。昨日まで「仕事だるい」と一緒に言っていた人が急に資格の勉強を始める。ずっと地元で過ごしていた人が、突然海外へ行く。何かを始めるたびに「お前らしくない」と言われるのは、本人を悪く言いたいからではなく、その人が変わることで、これまでの関係の形まで少し変わるからです。

ここで一番難しいのは、周囲だけでなく自分自身も昔の役割へ戻りたくなることです。昔の仲間といると安心するからです。新しい場所ではまだ評価が定まっていない自分でも、昔の仲間の中では自分の役割が決まっている。そこへ戻れば楽です。しかし、その安心のために今の自分を小さくするようになると、だんだん苦しくなります。成長するということは、過去の自分を否定することではないものの、過去の自分だけで生き続けることでもありません。今の自分を出すたびに居心地が悪くなり、昔の自分を演じていないと関係を維持できないのであれば、その関係の距離を少し変えることは十分に自然なことです。

昔からの友達だからといって、「今まで通り」を続ける必要はない

昔の友達と話が合わなくなったとき、多くの人は人間関係を極端に考えます。このまま付き合い続けるのか、それとも縁を切るのか。しかし、実際の人間関係はそんな二択ではありません。

例えば、学生時代は毎週会っていた友達がいたとします。社会人になってからも惰性のように月に一回会い、飲みに行く。最初の数年は楽しかった。しかし自分が勉強を始め、新しい活動を始め、休日に使いたい時間が増えてくると、その月一回が少しずつ負担になります。誘われれば行く。会えば昔話で笑える。決して嫌いではない。それでも、日曜日の夕方に帰宅すると、何とも言えない疲れが残る。そして次の誘いが来たときに、「今回は断りたいな」と少し思う。こういうとき、友達を嫌いになったわけではありません。その人との関係に必要な距離が変わっただけなのです。

月一回ではなく半年に一回なら楽しいかもしれない。毎日のようにLINEする必要はないけれど、年に一度会えば昔の話で笑える。そのくらいの関係に変えることで、むしろ相手を嫌いにならずに済む場合もあります。ところが、「昔からの友達は大切にしなければ」という感覚が強すぎると、自分がもう望んでいない頻度まで維持しようとします。誘われれば断りづらい。長い付き合いだから予定を優先する。話が合わなくなっているのに、昔のように何でも分かり合わなければならないと思う。そうすると、人間関係が友情から義務へ変わります。会いたいから会うのではなく、会わなければ悪いから会う。話したいから連絡するのではなく、連絡しないと関係が切れそうだから連絡する。それでは、昔大切だった関係まで嫌いになる可能性があります。

昔、本当に楽しかったのであれば、その時間は今も大切なものです。その友達に助けてもらったことがあるなら、その感謝もなくなりません。距離を変えることは、過去を否定することではありません。人間関係には、その時期ごとに適した距離があります。学生時代に毎日会えた人と、30代、40代になっても毎週会わなければ友情ではないということではありません。数年会わなくても、会えば昔のように話せる関係もあります。一度離れて、互いに別の人生を歩いたあと、何年かしてまた話が合うようになることもあります。

だから、今話が合わないからといって、大げさに絶縁する必要もありません。ただ、昔と同じ距離を守る義務もない。この中間を持てることが、人間関係では意外と大切なのだと思います。昔の関係を壊さないために今の自分を犠牲にする必要はないし、今の自分を大切にするために昔の友達を敵にする必要もありません。必要なのは、関係をゼロか百かで考えるのではなく、今の自分にとって自然な距離へ調整することです。

新しいことへ挑戦すると、付き合う人が変わるのは「ステージ」ではなく、接点と時間が変わるから

何かへ挑戦すると人間関係が変わるもう一つの理由は、もっと現実的です。新しい人と出会うからです。資格を勉強すれば、同じ分野を学んでいる人と知り合います。転職すれば、それまでとは違う仕事をしている人と話すようになります。海外へ行けば、違う国や文化の人と関わります。スポーツを始めれば、その競技を長く続けている人と出会う。事業を始めれば、同じように何かを立ち上げようとしている人や、すでに経験している人と話す機会が増えます。

そこで起きるのは、単なる友達の人数の増加ではありません。「そんな生き方があるんだ」と知ることです。ずっと同じ会社で働くのが普通だと思っていた人が、何度も転職しながらキャリアをつくっている人と会う。「そんな働き方もあるんだ」と知る。海外生活を特別なものだと思っていた人が、何年も海外を転々としている人と知り合う。「そんな人生も選べるんだ」と知る。会社員以外の働き方を知らなかった人が、個人で事業をしている人の話を聞く。人は、存在を知らない選択肢を選ぶことはできません。だから、新しい人との出会いは、自分が選べる人生そのものを広げます。

そして、それまで知らなかった選択肢を知れば、また別の興味が生まれます。その興味から何かを始めると、また違う人と出会う。そうして、自分の周囲にいる人が少しずつ変わっていきます。ここで昔の友達を捨てたわけではありません。自分が動いたことで、接点を持つ世界が増えただけです。

ただし、人間の時間は有限です。一週間には七日しかありません。新しい勉強に時間を使えば、以前のように毎週飲みに行く時間は減ります。新しく知り合った人と会えば、昔からの友達と会う機会が一回減るかもしれません。何かへ本気で取り組めば、「暇だから何となく会う」という時間が少なくなっていきます。つまり、挑戦すると付き合う人が変わるのは、精神的な「ステージ」の話だけではありません。単純に、自分がどこへ時間を使いたいかが変わるからでもあります。

昔は毎週集まることが一番楽しかった。でも今は、その時間を勉強したり、新しい場所へ行ったり、今の自分が興味を持っている人と話したりすることに使いたくなった。これは、誰かを裏切ったわけではありません。自分の人生で使える時間の優先順位が変わっただけです。人間関係の変化を「誰を切るか」という話だけで捉えると、この部分が見えなくなります。実際には、自分が何へ時間を使うかを決めた結果として、会う人の比率が変わっていくことのほうが多いのです。

成長した自分を理由に、昔の友達を見下し始めたら話は別

ここまで、挑戦や経験を重ねることで人間関係が変わる話をしてきました。しかし、このテーマは一歩間違えると、かなり嫌な自己啓発になります。「自分は成長したから、レベルの低い友達とは付き合わない」「成功したいなら、成長しない人間を切れ」といった考え方です。分かりやすいですが、人間関係をあまりにも単純にしています。

資格を取ったから偉いわけではありません。海外へ行ったから人間として上になったわけでもありません。転職した人が、同じ会社へ長く勤めている人より優れているわけでもない。事業を始めた人が会社員より成長している、と一律に言うこともできません。人が何に価値を置くかは違います。同じ会社で安定して働き、家族との時間を大切にしたい人もいる。休日は昔からの友達と飲んで、それが一番楽しいという人もいる。新しいことへ挑戦するより、今ある生活を丁寧に守りたい人もいるでしょう。その人が自分で選び、満足しているのであれば、こちらが評価する必要はありません。

今回の話は、「挑戦しない人は切りましょう」という話ではありません。自分と相手の生き方が違えば、自然に話が合わなくなることがある。そのとき、相手を否定せずに距離を変えてもいい、という話です。むしろ、本当にいろいろな経験を積んだ人ほど、人の生き方が一つではないことに気づくはずです。海外へ行けば、自分とは違う文化の中で生きている人を見ます。仕事を変えれば、会社によって常識が全く違うことを知ります。さまざまな人と話せば、自分が正しいと思っていた価値観が、ある環境でしか通用しないものだったと気づくこともあります。

経験が増えるほど、「自分と違う=間違っている」とは考えにくくなっていきます。だから、自分が挑戦するようになって昔の友達と話が合わなくなったとしても、「自分は上へ行った」と考える必要はありません。「今は見ている方向が違うんだな」くらいでいいのです。相手を下げなくても、自分は前へ進めます。もし相手を見下すことでしか自分の成長を実感できないのであれば、それは成長というより、他人との比較によって自分を高く見せているだけかもしれません。

輝いて見える友達に居心地の悪さを感じたなら、それは自分を見直すサインかもしれない

逆に、自分が昔の友達を見て「最近こいつとは合わないな」と感じたとき、その理由が相手の成長にある場合もあります。久しぶりに会った友人が、以前とは全く違う話をするようになっている。新しい勉強をしている。仕事で大きな挑戦をしている。海外へ行ってきた。休日にも新しい活動をしている。会うたびに知らない話が増えている。それを聞いて、「すごいな」と素直に思える日もあります。でも、ときには胸の奥が少しざわつきます。「なんでそこまで頑張れるんやろ」「自分はこの数年、何してたんやろ」「昔は同じやったのに」と、相手の話を聞きながら自分の時間まで振り返ってしまう。

この感情は扱いにくいものです。自分が嫉妬しているとは認めたくないし、「自分も何かしなければ」と思うのもしんどい。そこで相手のほうへ理由をつけたくなります。「あいつ最近意識高いわ」「自慢するようになった」「昔のほうがよかった」と考えれば、自分が動いていないことを見なくて済みます。もちろん本当にそういう変化をした可能性もあります。しかし、もし相手はただ最近の出来事を普通に話しているだけなのに、自分だけが強い居心地の悪さを感じているのであれば、一度その感情を自分へ向けてみてもいいと思います。

自分も本当は何かやりたいのではないか。興味があることがあるのに、何年も「そのうち」と言って動いていないのではないか。友人の姿を見ることで、それを思い出しているのではないか。今の生活に本当に満足している人なら、他人が何かへ挑戦していても、「楽しそうやな」「頑張ってるな」で終わることがあります。ところが、相手を見るたびに強くイライラしたり、距離を取りたくなったりするなら、その感情の中に、自分自身への不満が混ざっている可能性があります。

そうであれば、その友達を避けることより、自分も何か一つ動いてみるほうが、その違和感を解決するかもしれません。人間関係の居心地の悪さは、必ずしも「この人とは縁を切るべき」というサインではありません。ときには、「そろそろ自分も動いたらどうだ」という、自分自身からのサインになっていることもあります。

ここで大切なのは、相手と同じことを始める必要はないということです。友達が資格を取ったから自分も資格を取る、海外へ行ったから自分も海外へ行く、という競争にする必要はありません。相手が眩しく見えたことで、「自分も何かを変えたい」と気づいたのなら、自分が本当に興味を持てるものを一つ始めればいい。成長は、友達に追いつくことではなく、自分が止まっていると感じる場所から一歩動くことだからです。

人生のフェーズが変われば、一緒に歩く人が変わることは自然なこと

人生を長い時間で見れば、最初から最後まで同じ人だけと同じ距離で付き合い続けることのほうが珍しいのかもしれません。学校へ通っているときには、学校で出会う人がいます。社会人になれば、仕事を通じて出会う人が増えます。新しいことを学び始めれば、そこで出会う人がいる。知らない場所へ行けば、その場所でまた別の人と関わります。そのときどきで、自分に大きな影響を与える人が変わります。

学生時代には、一緒にくだらない話をしてくれた友達に救われることがあります。社会人になれば、仕事の考え方を教えてくれた先輩が大きな存在になることもある。何かへ挑戦している時期には、同じように挑戦している人との会話が自分を前へ進ませてくれることがあります。どの人が一番大切だったかを決める必要はありません。それぞれが、違う時期の自分にとって必要な関係だったのです。

そして、自分が次の段階へ進めば、今まで一緒に歩いていた人と方向が分かれることがあります。そこで無理に相手を自分の道へ連れてくる必要はありません。「もっと勉強したほうがいい」「お前も挑戦しろ」「そのままじゃもったいない」と言いたくなることもありますが、その人にはその人の人生があります。反対に、自分が昔の場所へ戻って相手に合わせる必要もありません。今の自分がやりたいことをやめてまで、昔と同じ話ができる自分へ戻る必要はないのです。

一度離れた人と、何年かして再び話が合うようになることもあります。自分が経験したことを、あとから相手も経験する。あるいは全く別の道を歩いた二人だからこそ、以前より面白い話ができるようになることもあります。だから、人間関係の距離が変わったときに、すぐ「終わった」と考えなくてもいい。今は一緒に歩く距離が違うだけかもしれません。

人間関係を長く続けることだけが正解ではありませんし、変わるたびに切り替えることが正解でもありません。大切なのは、自分がどんな人生を歩きたいのかを見失わず、その過程で関係の形が変わることを受け入れることです。相手を無理に変えず、自分も無理に戻らない。そのくらいの柔らかさがあれば、人間関係の変化を必要以上に怖がらなくて済みます。

まとめ|自分が前へ進めば、人間関係まで昔のままとは限らない

自分から学び、新しいことへ挑戦し、いろいろな場所へ行き、知らない人と関わり、成功も失敗も経験していけば、昔と全く同じ考え方のままではいられません。知っている世界が広がれば、以前は面白かったものに興味を失うこともありますし、昔は理解できなかった話を面白いと感じるようになることもあります。問題が起きたときの考え方も変わり、何か新しいことへ向かうときの怖さも変わっていきます。

そうなれば、人間関係にも変化が出ます。昔は何時間でも話せた友達と、今は昔話しか盛り上がらない。自分が新しく始めたことを話しても、相手には興味を持ってもらえない。反対に、相手が昔と同じ不満を何年も話していることに、自分が疲れるようになる。そうしたズレが生まれたからといって、自分を冷たい人間だと思う必要はありません。

ただし、それをすぐ「自分が成長した証拠」と考えるのも違います。自分がこの数年で本当に何をしてきたのか。何を学び、何へ挑戦し、何を経験した結果として考え方が変わったのか。そこを振り返ったうえで、人間関係の変化を見ることが大切です。もし、自分が実際に動き続けた結果として昔の友達との距離が変わったのであれば、無理に以前と同じ関係へ戻そうとしなくてもいいでしょう。昔大切だった相手を嫌いになる必要も、絶縁する必要もありません。ただ、今の自分に合う距離へ変えていけばいいのです。

反対に、自分は何も動いていないのに、挑戦している友達が眩しく見え、その人といることが苦しくなっているのであれば、その違和感は相手を遠ざける理由ではなく、自分自身を見直すきっかけになるかもしれません。人間関係の変化は、ときに自分がどこに立っているのかを教えてくれます。だから、誰が上で誰が下かを決める必要はありません。見るべきなのは、自分がこれからどんな人生を歩きたいのか、そのために今何を学び、何へ挑戦したいのかということです。

人生が動けば、人間関係も動きます。新しい場所へ行けば、新しい人と出会います。新しい経験をすれば、新しい話ができるようになります。その過程で、昔からの友達との距離が変わることもあるでしょう。それは昔の関係が間違っていたということではありません。その時期には、その人と一緒にいた時間が必要だった。そして今は、別の方向へ進んでいる。それだけのこともあります。

昔の友達を切る必要はありません。しかし、昔の自分に合わせ続ける必要もありません。自分が前へ進もうとするとき、その途中で一緒に歩く人が変わることまで、必要以上に恐れなくていいのです。

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